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政策決定論
政策決定論のうち、特に個々人の思考過程に焦点をあてたものを、意思決定論と呼ぶことがある。ここでいう「政策過程」は、おもに個々の人間の思考よりも、組織や社会という人間の集団による決定を対象としている。
しかし、組織も社会も個々の人間によって構成されているから組織や社会による政策決定を考察する場合に人間の思考過程がどのようになっているかについて一定の見通しをもっていることが必要である。
また、組織や社会による決定を個人による決定のアナロジーとしてとらえることも多いことから、政策決定論の基礎には意思決定論があるともいえる。そこで、まず個人の思考過程を記述する意思決定論について説明することから始めたい。
技術経営の手帳 · 技術の統治と人間の統治
技術(technology)は、人類に様々な可能性を与えてきた。その範囲と影響力の大きさは限度がなくなりつつあるようにみえる。
しかし、技術は自らの意思を持つわけでも、それ自体で成長したりすることもできない。技術は統治することもできる存在である。
技術が人類によって統治可能だからといって、その統治を行えるというわけではない。
技術は、そもそも知識である。知識は人間と切り離して存在することはできない。
そして、技術は科学とは異なる。技術はあくまで科学知識を人間の特定の目的のために再構築したものである。
故に、技術は二重の意味で人間社会から切り離すことができない存在である。
このように人間と切り離すことができないという性質から技術は統治が困難になっている。人間は不可思議の塊で、さらにその人間が複数人集まれば週癌・社会が形成される。
人間一人でも予測や統治が難しいが、社会という単位になるともはや統治は部分的にしかできない。完全に人間や社会を統治するという幻想を持つのが全体主義である。
統治の対象が人間・社会であれば、部分的にでも統治できているのであるから問題ないが、技術は完全統治できなければ問題が生じる。
なぜなら、技術は一粒でも取りこぼせば社会全体、人類の命運を途絶えさせるような力を持っているからである。
技術を統治することは今後、人類の歴史を永らえさせるために構築せねばならない知識なのだ。